どうも、黒澤です。

実は私、これでも京大生なんです。もう社会人になって何年もたつのですけれど、いま必要に迫られて英語を勉強しております。そうするとですね、昔、大学受験のために勉強していたころのことを時たま思い出すんですよね。

高校生の頃、そして京都大学を目指して浪人していた頃のことを。とんでもないぐらい勉強をしていましたね。

(今の京大受験がどんなものなのか知りかねるのだけれども)私が京都大学を受験したころは、英語に限ればセンター試験と2次試験の2回にわたって学力が測定されていました。センター試験というのは、昔は『共通一次試験』とも呼ばれていた時代があったようです。今から思うと、本当に大昔の話です。つまり、センター試験は一次試験であり、どんな大学(もちろん私学は除きますが)を受ける者でも必ず受験しなければならないテストでした。

英語ですので文系理系は勿論問いませんし(いま思えば、真面目に最先端のサイエンスを勉強するならば理系のほうが英語力が高くないと困りますね)、芸術系やその他やや専門的な学部を受けるにあたっても『英語』というのは必須科目でした。

理系なら社会科目は要らないかもしれない。文系なら理科科目は要らないかもしれない。しかし、『英語』を要らないという学部はほぼ存在しえない状況でした。まともな大学なら(そして、私がそのまともな大学の入試を担当するというなら猶更のこと)英語を受験科目として設定しています。そんな受験科目としての『英語』の立ち位置があります。





センター試験『英語』はその年の受験背に大半が受験するものであります。従って受験者層のレベルは本当に天と地ほどの差があります。日本の最高学府である東京大学、その頂点に君臨する医学部(理科Ⅲ類)に最高得点で合格する者も、記念受験とかいうノリでテキトーに受けて、試験開始1秒で寝るような、あるいは4択を全部適当に選ぶような不届き者も、みんな同じ問題を受けるのです。

しかし不思議なことに受験者層が千差万別の状況ながら、なぜか平均点は110~130程度に収斂します。これは、センター試験の問題レベルが絶妙な塩梅で調整されていることの証左でしょう。問題ごとに難易度が明確に別れており、出題者側はそれを組み合わせる(各レベルの問題数を調整する)ことによって平均点を収斂させているのです。そして、問題レベルを明確にするためには出題の『型』が必要になり、これらを学ぶために受験生は過去問を繰り返し解くのです、と言っても過言ではありません。

また、京大受験生レベルになると、センター試験のレベルで理解できない問題はまずない(むしろ無意味に選択肢を深読みして迷うことは往々にしてありますが)ので、受験勉強の中心は自ずと2次試験(京都大学が作成する糞ムズイ問題)に偏ります。そして、京大英語にはリスニングがない。

これがまずかったのです。

私は2次試験の勉強ばかりしていました。京都大学の英語の問題は和訳と英訳のみ、という非常に特徴的なものです(当時は。今は知りません)。私は延々とその練習を繰り返しました。リスニングには一切力を入れてこなかった。結果、センターは95%、2次試験は80%を超える得点で京都大学に合格することができました。

でも英語力はついていません。話すことはできません。聞くことが出来ません。コミュニケーション手段としての英語は何一つ身になっていなかったのです。

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ただ京大に合格するための得点源、手段に成り下がっていたのです。あれほど莫大な時間と労力を書けたのに、あまりにも勿体なかった。

では当時、先を見越して受験には必要ないけどリスニングやスピーキングは絶対に必要になる力だから練習しようという殊勝な心意気を持つことが出来たかというとまずできないでしょう。しかし、絶対にしておけばよかったと思うのも事実。東大受験はリスニングがあるのでうらやましい。きっと英語力は東大のほうがべらぼうに上でしょうね。

と、いうわけで何が言いたいかというと短期目標よりも長期目標を立ててほしいと思う。とくに志望校A判定を取っているなら、なおさら。

将来、無駄になることは無い。勇気をもって踏み出してみてもいい。受験勉強ばかりして京大に入っても、志がなければ社会人になって落ちぶれていくだけだと思います。私のようにね。這い上がるのは大変。意識を高く、愚直に自分の能力を伸ばしてほしい。