読者の皆さんがもし会社勤めのサラリーマン(特に大企業)であれば、昨今「働き方改革」が声高に叫ばれ、実際に様々な変化を感じているのではないだろうか。まだまだ記憶に新しい、あの「電通の事件」を踏まえ、世の中は一気に「働き方改革」へと舵を切ったように思う。かつて「モーレツ」と呼ばれたような働き方は、今はもう出来ない。多くの会社で残業を禁じたり、強制的に休暇を取得させたりしている。多くの企業がまず、手っ取り早く対応できる「従業員の労働時間を強制的に区切る」ことに着手したのではないかと思う。

これにより何が実現したか。当然、強制的に労働時間が区切られるので、プライベートの時間が増えただろう。その時間を使って、同僚や友人と飲みに行ったり、コンパに行ったり、マッチングアプリに興じたり、ナンパをしたり、ゲームをしたり、育児をしたり、これまでなかなか会社のある日には出来なかったことに手を付けられるようになったのではないか。


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それはそれでHappyなことかもしれない。でも、今まで仕事に全力投球で、仕事が楽しくて、いつまでも仕事をしていたかった人にとってはどうだろうか。大好きなことを突然奪われるのである。そのショックは想像に難くない。もしかすると、モチベーションが低下してしまっているかもしれない。

会社にとってはどうだろうか。労働時間が減ったことによる人件費の減少と、生産量の減少を天秤にかけた場合、会社にとってどちらがよかったのだろうか。

私はこの「働き方改革」という言葉にすごく違和感を感じている。改革すべきは「働き方」ではない。How to workではない。個々の仕事の生産性を高める作業が必要だと思う。仕事には無駄が多い。削れるところがあるはずだ。Business Process Re-engineeringを進めていかなければならない。巷で最近よく耳にするようになった言葉だ。そう、「BPR」だ。個々の業務プロセスを見直し、角度をよりつけていく(生産性の高いものにしていく)。そうすると自然に労働時間は減る。生産性は変わらない。つまり人件費が減る。会社にとってのwinだ。




労働者にとっても自らの時間が増えるし、より「思考」する時間が増える。私は常々感じているのだが「PCに向かっている時間」は仕事ではなくただの作業だ。頭の中に絵を描くことが仕事だと思う。極端な話、資料作りは誰でもできる。そこらへんの主婦のおばちゃんをパートで雇ってもワード、パワポ、エクセル、アクセスなど簡単に使いこなしている。作業はそういった人たちにお任せし、思考する時間を十分に確保することが大切だ。

業務時間削減とBPRは自転車の両輪である。どちらかだけでは絶対に矛盾をきたし、崩壊する。利益の減少かもしれないし、人材の離脱かもしれない。いずれにせよ、どこかから徐々に組織を蝕んでいくことになるだろう。そうなれば従業員の生活も崩壊し、元も子もない。働き方改革によって職を失うかもしれない。AIによって仕事が取られてしまうよりもずっと早く。

そもそも日本がこんな風に働き方改革を迫られる事態に陥ったのは、日本特有の採用にあると思う。日本では主に大卒者を一括採用、いわゆるメンバーシップ型採用をしているが、欧米では「ジョブ型採用」が主流だ。日本は戦後、高度経済成長を迎え、仕事内容が次々と変わっていた。そこに人を当てはめていった。専門人材を都度採用するよりもまず人を確保しておくことを優先したわけだ。一方でジョブ型採用では、仕事内容を明確に定義し、そこに対してスペシャリストを雇用し当てはめる。前者の方式だと、個々の業務を明確にしておく必要がない(前任者から引き継げばよいから)のだろう。はっきりとした線引き、切り分けができていない。だからこそ、何が必要で何が不必要なのかわからないし、考えようともしない。常に以前からのやり方を踏襲し、そこに少しずつ新しいことが「付加され、業務量は雪だるま式に増えてゆく。そうすると、業務を整理する時間もなくなり、思考が停止する。残念ながらそういう状況だろう。

日本企業はいま、様々な領域でスペシャリストを育成しようとしている。しかし、せっかくスペシャリストを育成できたとしても、業務整理ができていなければ、そのスペシャリティを活かす業務を付与できない。余計なこともくっついた状態の仕事をさせることになる。実にもったいないことになるような気がしてならない。

日本の働き方改革。次はどのようなステップを踏むのだろう。不安もあるが、未来を楽しみにしている。